ブログネタ
高校野球 に参加中!
いよいよ代表校が決定する。
大丈夫であろうと思っていても、正式に決定するまでは不安である。明日の夕方には『八重山商工の選抜出場決定』という吉報が入るのを待ちたい。

<センバツ>31日に選考委 候補校は127校 - livedoor スポーツ
第78回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)の出場32校を決める選考委員会(委員53人)は31日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社で開かれる。候補校は導入6年目を迎えた「21世紀枠」9校を含めた127校。


出場32校のうちわけは、一般選考29校、21世紀枠2校、希望枠1校となっており、午後3時から再開される選考委員会総会にて決定される。

沖縄高校野球界で、かつて八重山地区の高校はそれほど力はなかった。県大会に出場してもせいぜい2、3回戦どまり。その八重山の高校が本気で甲子園を目指そうという気運ができたのは、現浦添商監督の神谷氏が八重山高校に赴任し監督に就任してからである。

昭和56年であっただろうか。
八重山高校は、この年の夏の沖縄県大会で準優勝した美里と3回戦であたり、乱打戦の末延長にもつれ込んだが惜しくも敗退。神谷監督の下あわやベスト8というところまで美里を追い詰め、はじめて甲子園というものがみえてきた試合だった。

当時の沖縄高校野球界は、沖縄水産と興南が東西横綱として君臨。甲子園の常連でもあり、ようやく沖縄の高校が他府県からも同等にみられようとしていた時代である。

それまで興南や沖水を相手にするのはおろか、県大会の上位進出でさえ夢のまた夢と誰もが思っていた八重山高校であったが、突如練習用ユニフォームに『目指せ甲子園』というマジックで書かれた大きな文字が表れた。県大会のベスト8にも進出できない高校がである。それを本気で教え込んでいたのが神谷氏であった。

あれから20余年、八重山では有望な選手が沖縄本島の有力校に進むのを防ごうと、少年野球の八島マリーンズの監督であった伊志嶺氏を石垣市が非常勤職員として採用し、八重山商工の監督として派遣。
全国優勝した八島マリーンズ時代からの教え子らが成長しそのまま八重山商工に進学。伊志嶺監督が八重山商工をここまで導いてきた。

昨秋の九州大会出場以来、八重山商工といえば何かと伊志嶺監督と八島マリーンズ時代からの選手たちが取り上げられるが、『八重山から甲子園出場』という気運をつくった神谷氏のその功績も大きい。

八重山からの初めての甲子園出場。
八重山商工の出場が決定すれば、八重山は大変な騒ぎになるだろう。

永かった神谷氏の夢もようやく叶おうとしている。

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 野球ブログへ