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2009年夏を最後に甲子園から遠ざかっているPL学園が、監督不在ながら大阪府大会を決勝まで勝ち進んだ。決勝では履正社に競り負けたが、3年ぶりの近畿大会出場を決めている。

2回戦  PL学園16−0大教大池田(7回コールド)
3回戦  PL学園15−0大商学園(7回コールド)
4回戦  PL学園16−0日新(6回コールド)
5回戦  PL学園9−0早稲田摂陵(7回コールド)
準々決勝 PL学園1−0上宮太子
準決勝  PL学園10−0大阪偕星学園(8回コールド)
決勝   PL学園3−4履正社

強いPL学園が帰ってきた。しかしながら、ベンチにユニフォームを着た大人はいない。
意図したわけではなく、後任が決まらないまま大阪府大会に突入したものであるが、「名将」「智将」が蔓延している高校野球において、監督不在で勝ち進むさまは見ていて心地よい。

現役高校生監督で甲子園8強

さすがに監督不在のまま甲子園に出場したというのは聞いたことないが、監督として甲子園の土を踏んだ現役高校生がいたことは記憶している。

1975年選抜に出場した豊見城は、準々決勝で惜しくも東海大相模に2−1で逆転負けを喫したが、8強に進出し強豪校と対等に渡り合う豊見城は甲子園を驚かせた。

沖縄県の高校野球は、今でこそ全国でも対等に戦えるまでの力がついたが、かつては勝ち進むどころか1勝さえも遠い時代があった。甲子園に出場すると、ほとんどの観客が応援してくれる。いわゆる「判官びいき」が当たり前な「弱小県」のレッテルが貼られていた。

そのレッテルを剥がしたのは、故・裁広義氏(元沖縄水産監督)率いる豊見城高校である。
後に沖縄水産が二年連続夏の甲子園準優勝という実績を残しているが、沖縄高校野球の気運を高めたのは豊見城高校にほかならない。

その豊見城が甲子園を驚かせた1975年当時の監督が、現役高校生の亀谷氏であった。野球部に属しながらも年齢制限のため試合に出場できないことから、裁氏が部長に就任。亀谷氏を監督に登録しての甲子園だった。

実質、裁氏が指揮をとっていたのでPL学園のそれとは違うが、この粋なはからい。個人的には、これこそ高校野球ならではの「名采配」だと思っている。

校長が部長で部長が監督で…

沖縄県内外を問わず「名将」「智将」と称される監督は多い。
そもそも名将・智将とは「戦略・戦術にすぐれている大将」を意とするらしいが、甲子園の試合だけでなく、最近では沖縄県大会ですら名将対決として報じられているのを目にする。
はかりごとにすぐれた監督が年々増殖するのは大いに結構なのだが……。

戦力が拮抗している場合は戦術・戦略により勝負が大きく左右されるが、ある程度力差があれば個々の能力で押し切れる。それがいい方向に回ってくれているのが今のPL学園なのだろう。

監督不在というあまりにも大きすぎるハンデだが、それをものともせず決勝まで勝ち進んだのは見事としかいいようがない。
大阪府大会は野球経験のない校長が、部長としてベンチに入ったが、近畿大会は監督も兼任するという。

試合中の大事な場面での采配や選手交代の時期等監督代行を担う、いや担わざるを得なくなったPL学園の選手たちはプレーに集中できるのだろうか。関係者は気が気でないと思うが、この名将いらずの快進撃に―――思わず「ニヤリ」。

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